12 Duomo di Milano

ミラノのドゥオモ

2002年8月、アメリカ人版画家、ダン ウエルデンが主催するワークショップにゲスト アーティストとして招待されて、フィレンツェに一ヶ月滞在した。全米各地からアーティスト達がワークショップに参加して、ソーラープレートという感光樹脂版を用いて版画を制作していた。私は時折スタジオに出かけ、アーティスト達のアシスタントをしたり、エングレーヴィングのデモンストレーションをしたり、美術館や教会を訪れ楽しい夏休みを過ごした。ワークショップが終わる最後の週に、私は中央駅の近くにあるバスターミナルに行き、ミラノへのラウンドチケットを買った。帰国するまでにどうしてもドゥオモの屋根に登ってみたかったからだ。1990年代後半に横浜の書店で、ドゥオモの屋根の風景のモノクローム写真が掲載されているのを写真誌で見て、いつか訪れてみたいと思っていた。初めて見るドゥオモは広場の奥に大理石のピンクを帯びた白肌のファサードで、まるで中世の貴婦人のような可憐な姿で建っていた。巨大なステンドグラスがある聖堂の中に入って礼拝を済ませてから、後方にあるエレベーターで屋根に登った。狭い階段をさらに登ると三角形の屋根の片側が見え、その上に無数の小尖塔が四列で整然と並び、その先端には聖人達が立っていた。小尖塔は少しずつデザインが違う無数の装飾で飾られた飛び梁、フライング バットレスで結ばれていて、その下をくぐる ように回廊が一直線に延びていた。私はこれまで見たことがない複雑な構造と繊細な装飾が限りなく続く華麗な光景に出会い、しばらくは 呆然として眺めるばかりだった。ミラノ大聖堂は1386年 に着工してから約400 年かけて完成した世界最大級のゴシック建築で、典型的なイタリアンスタイルではなく、フランススタイルのゴシック建築を目指して建造された。屋上には135 の小尖塔があり、一番高い所に黄金のマリア像が聳え、ミラノの街を見守るかのように立っていた。真夏の強烈な光線が、いたるところに施された彫刻や装飾の細部まで鮮やかに照らし出していた。私は広大な建築を夢中になって撮影したが、ズミクロン35ミリのレンズでは全容が収まらずフィルムを浪費した。ドゥオモの屋上に登って見た光景は、真夏の白昼夢のように鮮明に焼き付けられて心の奥に残っている。
横浜に帰ってそのフィルムを現像したが、いつかドゥオモのエングレービングを制作する時が来ると思い、10年間そのままアトリエに放置していた。パリのノートルダム大聖堂の第2ステートのエングレービングが完成した頃、教会建築に魅せられた私はまた聖堂の光景を描きたくなり、ふとミラノ大聖堂を取材したのを思い出した。早速モノクローム フィルムの画像をフォトショップに取り込んで編集し、プリントアウトして制作に取りかかった。2012年12月に制作を開始したが、広大な風景を収めるとかなり大きな版になった。版の上部は椅子に座っていては手が届かず、立って彫りをしたので体力を消耗した。ゴシック建築独特のこれでもかこれでもかと連続した装飾を描くには、強い集中力と忍耐力が必要だった。銅版を彫って一休みしてその線を見ると、洗練されたデザインが版に定着されていて、その美しさにはっと驚くことがよくあった。先人たちの洗練されたデザイン能力を再認識した。集中力を持続して制作をしたが、いつまで経っても終わらない版を見てため息をついて、先が見えなく不安になった。この建築を建てるよりは描く方が労力が少ないと自分に言い聞かせて制作を続けた。その頃私の身体に異変が起こり、自然に歩くことが出来ずらくなり、顔が少し変形し始めたので病院で診察を受けた。検査の結果ヘルペス菌に身体が侵され始めていることが判明し、処方された薬を飲み、一ヶ月自宅で静養してようやく回復した。制作時の多量の喫煙、制作後の過度の飲酒と何よりも強いストレスが原因だった。2013年 6月 に全てを描き終え、長年刷りを担当している白井 四子男氏と最後のトライアル プルーフを刷って、大版のエングレービングが完成した。

“Duomo di Milano Ⅰ” Trial proof no.2 Jan, 16th 2013


Trial proof no.3 Apr, 18. 2013


Trial proof no.4 May 27. 2013


BTP Jul, 8th 2013
 

イタリアの銅版画といえばジョバンニ バッティスタ ピラネージのエッチングを想いだすが、国立西洋美術館で開催されたピラネージ展に行き、とてつもなく大きい版の鮮明なトーンのエッチングを見てヨーロッパの銅版画の伝統美に感嘆した。ベェネチィア生まれのピラネージは若い頃ローマに出て、古代遺跡の風景画のエッチングを制作して販売したが、晩年「牢獄」の連作を制作する。1979年、私は大英博物館の版画室で初めてオリジナル作品を鑑賞したが、それまでの彼の作品とまったく違って鋭い感性と熱い情熱を持って制作されていて、まさに最高傑作だった。若い頃ピラネージの連作を見た感激はずっと私の心に残っていた。ミラノのドゥオモの一作が完成した時、もう一点違ったアングルのエングレービングを始めようと決心して制作を始めた。第一作よりも少し大きい43x 31センチメートルの版になり、私の作品で最大になった。広大な光景を描くのに細部の描画をあまり精密に描かず、どちらかと言うと荒っぽいラフな描画にして、ピラネージの感性のような情熱的な表現を心がけて制作を続行したが、私はその時それまでしたことがない体験をすることになる。4、5時間彫りをして食事をとって休養してまた同じ時間彫りをしたが、仕事を終えても版のことが気になり、いつもその事で頭が一杯でゆっくり睡眠が取れなくなった。版を描き終えても版が私を離してくれなくなり、しかももっと早く描けと版が私を強要するように感じ始めた。ピラネージが「牢獄」の連作を制作中に侵されていた、強い精神的な病にも似た苦痛に私もさい悩まされていたのである。体力が無くなっていても精神は肉体を酷使させようと強制するのである。精神の平衡を保つために数日仕事して数日休養しながら、やっと第2版が2014年8月に完成した。制作体験があまりにも厳しかったので、制作が終わってもしばらくは大作をやり遂げた実感がなく、一週間を過ぎた頃にようやく私は自分が彫り刻んだ版から解放された気がした。ミラノのドゥオモの制作をした1年9ヶ月は、荒れ狂った海を小さなヨットで航海するような、私の画家人生で最も過酷で激しい体験だった。


“Duomo di Milano Ⅱ” trial proof no.2 Dec, 24th 2013


Trial proof No.3 May 29.2014


Trial proof no.4 Aug,11. 2014



12回連載の「銅版画45年の追想」の最期に、私が最も好きな ピラネージの「牢獄」の第7作を掲載する。

“Carceri d’invenzione di G.-Batista Piranesi” pl. Ⅶ
Une grande tour, des passerelles, et deux ponts-Levi’s.